満腹日和 Vol.3
季節が変わった実感のないまま、今年の夏は終わりました。もうしばらく続きそうな暑さの延長戦の中に、少しでも秋を感じたい気分です。
今年の8月は戦後80年という節目の年だったこと、また戦争体験の継承という意味でもきちんと報道すべきという理由もあり、例年以上に太平洋戦争を扱ったメディアが多かったように思います。先の大戦の結果が軍民合わせて300万の犠牲であり、広島・長崎の悲劇であり、焦土と化して衰亡の淵に立たされた国家であるとすれば、どこで道を間違えたのか、どこで引き返すべきだったのか、そんなことを思いながら見ていました。一方で「1945年」は終戦の年であると同時に、私たちの「今」に続く起点でもあると思えば、「1945年まで」の検証と同時に、「1945年から」の検証も同じように必要なのではないかという気もしました。
8月9日、長崎平和祈念式典で小学生が合唱したのは福山雅治さんの「クスノキ」という歌でした。被爆し大きな傷を負ったにもかかわらず、今も当時の場所に立ち続ける山王神社の被爆樹木(大クス)を題材に、「すべての生命が等しく生きられる世界」への願い、「生命の尊さ、逞しさ」という普遍的なメッセージが描かれた楽曲です。それは怒りでもなく悲しみでもない、静謐な祈りにも似た「心の声」として私たちにゆっくりと染みわたってきます。
我が魂はこの土に根差し
決して朽ちずに 決して倒れずに
我はこの丘 この丘で生きる
幾百年越え 時代の風に吹かれ
片足鳥居と共に 人々の営みを
歓びを かなしみを ただ見届けて
我が魂は奪われはしない
この身折られど この身焼かれども
涼風も 爆風も 五月雨も 黒い雨も
ただ浴びて ただ受けて ただ空を目指し
我が魂は この土に根差し
葉音で歌う 生命の叫びを
戦後80年、昭和100年。その連続した歩みの上に今私たちは生きています。改めてその意味を深く考えたい、そんな気になる今年の夏でした。夏が明けた翌日、2025年9月1日は白石学習院の創立記念日。こちらも50周年の節目を迎えました。夏の初めに思いがけない悲しみも抱えつつ、迎えた誕生日。その連続した歩みの上に、今私たちは生きています。