コラム

『教壇から見える風景』第1限

子ども達の好奇心をくすぐることは、今も昔も身の回りにたくさんあふれています。
身近なとこで起こる『すべての現象には必ず理由がある』わけです。そして、すべて「理科」という科目につながるといっても過言ではありません。
ただ普段の生活をしていても「好奇心」をくすぐることには気がつきません。そこで重要なのは「なぜ?」と思うこと。
“気になる”ということは、知的好奇心が刺激されていることを意味します。「なぜそうなるのか」とか、「どんなふうになっているのか」という『気になる』・『違和感』が好奇心へと繋がります。また、幼少期から小学校低学年のうちは、「好奇心」のかたまりですから、いかに「なぜ?」に対して検証・実証させていくかが「思考癖」をつけるカギとなります。
いろいろな方とお話をさせていただいていると、子ども達の「なぜ?」に対して、大人が『答え』を簡単に出してしまっていることが多いような気がします。これは、「本を読む前に推理小説の犯人を言われる」とか「録画していたサッカーの試合結果を見る前に聞かされる」ことと同じで、かなり「嫌な」ことですよね。周りの大人の何気ない言動が、知らず知らずのうちに子ども達の「楽しみ」を奪ってしまっている可能性があるわけです。
最初は「答え」が間違っていても構いません。まずは、自分で考え(仮説をたてる)、いろいろ調べて(実証する)、いろいろな人に伝えていくことが、理科の勉強の第一歩ですし、社会に出たときの「大きな力」になります。
私たち大人は、子ども達自身が日々の生活の中で『気になる』ことに対して、思考・試行をできる環境を整えて、それを楽しむぐらいの余裕が必要なのかもしれませんね。

新年度のご挨拶

受験を終えた生徒たちに見る眩いほどの輝き

近年は開花が3月下旬頃であるため桜の木の下で入学式をおこなう象徴的なシーンは見られなくなりましたが、今年も満開のピンクが新しい舞台へ飛び立つ生徒たちの後姿を祝福してくれました。当院は小中高併設の塾ですので大学受験も指導しておりますが、今年も多くの高校卒業生たちが巣立っていきました。私が普段仕事をしている本部・東雲の校舎からも、毎日すぐ傍らで勉強をしていた教え子たちが、まさに長年の彼らの「巣」であったこの広島から九州、四国、京都、東京、そして遠く北海道へと意気揚々と飛び発っていきました。もちろん地元の新しい人財となるために広島の大学を選択して残る生徒たちもいます。しかし変わらないのは大学受験という人生の大イベントを終えた彼らの輝き。毎年変わらない進学塾の光景ではありますが、毎年のように彼らの放つ眩しさには感動させられます。その彼らたちも、多くがこの同じ教室でかつては小学生時代に中学受験を、中学生時代に高校受験を共に頑張った時代があり、長い生徒であれば10年間も指導してきたことになります。彼らが本当に幼く可愛らしいときから、あるいは難しい思春期の頃からの付き合いですから、もう私の目線は完全に家族のそれであり、だからこそ必要以上に彼らの巣立ちに感動してしまうのは否めないところです(苦笑)。しかしそれは一旦横に置いて、できるだけ冷静に、客観的に彼らを見ていると、この数年間に少しずつ変わってきたある事実に気が付きます。

「必死」ではなく「夢中」で受験を乗り越える

彼らに共通するのは、最後の最後まで楽しみながら受験勉強を終えたということです。いや、本当は辛く苦しいこともあったことでしょう。しかし彼らは、かつて数十年前にはいたるところに見られた「孤独に必死に猛勉強する受験生」のイメージとは大きく離れ、生徒同士が和気あいあいと支え合いながらあたかもチームで戦うような雰囲気のなかで、一見悲壮感とは無縁の空気の中で勉強をしてきたように見えました。しかし受験結果ではこちらが驚くほどの難関大学を見事に突破しているのも事実であり(決して合格ラインが下がったという面はありません)、我慢と犠牲の対価として合格を勝ち獲った~というようなステレオタイプな旧来型図式には当てはまりません。近年この傾向が続いていきましたが今年はそれが特に顕著でした。最も伸び伸びやっているように見えた今年の受験生たちが、近年のなかで最も優れた結果を残すという事実、まさにここに時代の変化を感じるところなのです。この世代にとって勉強、受験に向かう際に大切なものは「必死」ではなくて「夢中」といった言葉がふさわしいような気がします。実はこれが、国が力を挙げて取り組んできた2020年を節目とする大学入試改革や学習指導要領改訂の根幹にされている「新しい学力観」、これと大きく関係しているのではないでしょうか。私はそう感じるのです。

キーワードは柔らかな個の「つながり力」

大学入試のみならず、実はもう既にこの改革を受けて広島県の公立高校入試においても出題形式はかなり変化してきています。暗記力とその応用力を問う知識偏重スタイルの従来型から、その部分は残しながらさらに記述という形式を用いることで発想力や表現力までを問う総合力評価スタイルへと、この数年間で入試に大きく変化がありました。つまりインプット力が勝負を分ける入試からアウトプット力がものを言う入試への変化、移行。とはいっても中学校の学習課程自体にはさほど大きな変化は起きていない。よって過渡期であるこの数年間は中学生のみならず指導する学校現場や塾でも試行錯誤の連続です。このような次世代の学力観に基づいた教育課程や受験環境で力を発揮するために、自然と大きな流れの中で生徒の側にも変化が起きてきたのだと考えられます。単純に正しい答えを選び出す作業ではなく、他人になぜそう考えるのかを伝える作業へ、求められるものの変化に伴って優秀であることの定義も少しずつ変わってきたのです。だから前述の生徒たちがまさに時代の申し子のような気がしてならないのです。新しい世代のキーワード、それはある種の柔らかな自己肯定感をもった個人同士の「つながり力」なのかもしれません。

困難な時代の中でどう生徒たちを支えていくか

まちがいなく教育改革は進んでいます。そしてその変化に対応できる素晴らしい能力をもった生徒、若者も育っています。しかしこの改革は子どもたちに求めるレベルも以前の比ではないように感じます。他者に発信する作業が苦手でも、持てる知識や才能に溢れていればそれが評価される時代はありました。が、それだけでは気づいてもらいにくい時代(入試制度)が到来した今、どのようにして愚直に努力する生徒たちをしっかり支え表舞台に導いていくか、お預かりした生徒の学力、成績を上げることが職責である私たち塾も大きな課題に直面しています。また一方で早い段階から固定化されていく格差をこれもまた教育の力で食い止めなければならないといった社会的課題、競争喚起させながら全体の平準化も無視できない大いなる矛盾。時代や社会が求めているものとはいえ、子どもたちにとって今は決して楽な時代ではないでしょう。AIやIoT、クローン技術などの先進性は世の中を豊かにするはずですが、ニュースなどで知る限り、その進化の先に漠然とした不安を感じている子どもたちが多いことからもそれが判ります。「未来は明るい」と能天気に考えていた少年時代の私とは違って、現代の子どもたちには大きなストレスがあるのは間違いないようです。だから大人である我々は悩みます。どうやって支えていくべきか、どのように大きく成長させるべきか。しかし格言に「どんな時代にも生き残るのは強いものではなく、環境の変化に対応できたもの」といったのがあります。当事者である今の生徒たちは、もしかしたらその新種なのかもしれません。子どもは伸び伸びと生きる力がある、だから変な経験則でいじり回すのではなく、保護者であり指導者である私たちこそ時代の変化に合わせて大切な子どもたちを支えていくべきなのでしょう。

 4月、冒頭の大学へ飛び発った彼らがいなくなった教室。一瞬なにか喪失感のようなものに支配されます。おそらくかつての『主』がいた場所にぽっかりと空いた穴、それが刹那や静寂を感じさせるのでしょう。しかしまたそれも束の間のことで、次の受験生、次の下級生たちがそこにいつの間にか居ついて塾の中で存在感を放つようになります。主役は交替しますが、また今年もまた新しいドラマがそこで発信されていくのです。大きな変化の中にある今の教育環境ですが、しかし逞しくかつ柔軟な若い世代は育ってきているはず。まだ彼らは薄緑色の小さな芽ですが、すぐに力強い葉ぶりとなってすくすくと育っていくことでしょう。来年の春にまた満開のピンクが見られるように、新学年からまた新たなスタートです。これから教室が賑わっていくのが楽しみです。